公開日:2023年09月27日
【東京発日帰り低山さんぽ】古道を辿り、弘法大師、修行の山に登る矢倉沢往還から弘法山へ
権現山に立つ展望台は、麓の秦野駅付近からでも見える。標高は243mほど。この権現山のほか、浅間山、弘法山、吾妻山などを辿る低山縦走はよく知られる人気のハイキングコースでもある。秦野駅からスタートすれば、下山後に鶴巻温泉の湯に入れるのが魅力。逆に鶴巻温泉からスタートすれば、最後の浅間山で富士山を拝めるのが魅力になる。ところが、もっと別のルートも存在する。矢倉沢往還から弘法山へ行くルートだ。
<神奈川県 秦野市>
◆散歩コース◆
体力度:★☆☆
難易度:★☆☆
- 登山シーズン 1月~6月、9月~12月
- 最高地点 243.3m(権現山)
- 登山開始地点 20m(鶴巻温泉駅)
- 歩行時間 2時間55分
- 歩行距離 約8.5km
スタートは鶴巻温泉駅。伊勢原のほうへ進み神明神社の先から東名高速を越えて国道246号方面へ。途中、遠くの山と山の間に高い山の先が。一瞬、大山かと思い、洗車していたおじさんに聞くと、
「たぶんそうだと思いますがね」
近所なのにあまり自信はなさそうだった。あとで写真を拡大してみたら、やはり大山だった。
246号の手前で左折、住宅街を抜ける。カーブの道になり舗装はされているが、これは往還の道だと直感した。すると突き当たりに、周りをブロックで囲んだ中に地蔵2体と愛鶏供養塔。供養塔は昭和17年建立と古くはない。でも、まぎれもなく往還道だろう。
と思ったら、「矢倉沢道」と記した道標がすぐ近くにあった。「太郎のちから石」に寄ってから、道はさらに時代を遡(さかのぼ)った雰囲気になってきた。道は細く緩く坂道になる。その先に神代杉(うもれ木)、夜泣き石などがある。
往還の視界が開けてきた。と、石碑のようなものがいくつか。見ると、馬頭観音がまとまってある。数えると12体あった。往還にあったものを一カ所に集めたのだろう。
さらにその先の風景がいい。右手に畑と木々。往還はいいところを通っていた。先で道が分かれる。片方に通り抜けできない注意書き。
えいや、と直進するとなんのことはなく舗装路へと出た。なぜそんなことになっているのかというと、その先の建物はラブホテルが多いから、だと思う。ハイカーの目を逸らすためではないか。旧善波隧道を抜け、Uターンするように善波峠へ向かう。峠は大きくえぐられたような切通しになっている。
善波峠を超え、修行の山、弘法山へ
峠には首なし地蔵が2、3体。明治時代までは峠には茶屋が一軒あったという。峠から少し上に上がると、旅人のために火を灯した御夜塔が残っていた。その上に出て弘法山への道を辿る。峠からは30分も歩かずに弘法山。
ここは弘法大師が千座の護摩を修めた修行の山とされている。修行の地では、みんな弁当をひろげていた。座るところもない混みようなので、しばし休息後、早々に引き上げる。
弘法山と展望台のある権現山の間の道は馬場道と呼ばれ、昔、周辺の農民が草競馬を楽しんだ道だそうだ。なるほどと思う広い道だ。
権現山の広場に立つ展望台へと上がってみた。これがまた素晴らしい眺望。360度のフルパノラマ。圧倒的な風景だ。富士山から丹沢から、遠く相模湾……。すべてが見えるような満足感に、ときが経つのを忘れてしまった。
山歩きメモ
弘法山の手前の分岐から下りてくと、『めん羊の里 木里館(もくりかん)』がある。ジンギスカンが食べられる店で、外のテーブルでは、最高の展望を楽しみつつ食事ができる。おすすめだ。
アドバイス
ややわかりにくい箇所は矢倉沢往還の「この農道はこの先通りぬけできません」とある分岐。国道246号へ行くようになっているが、問題なく農道は通り抜けられる。これが本来の往還。先でホテル街の道に合流する。その先で道はホテルの中に入るので旧隧道を抜けるしかない。
矢倉沢往還
江戸時代に整備された東海道の脇往還
江戸時代に整備された街道で、江戸城の赤坂門から相模国の足柄峠を経て駿河国の沼津宿まで。現在は国道246号がほぼこの往還に沿って通っている。道は大山詣の道でもあったので、大山街道、大山道などとも。昔の往還の面影を辿るのはほとんど困難だが、場所によっては残っているところもあり、この善波峠付近にも雰囲気が残っている。ちなみに江戸時代前から足柄道と呼ばれた古い東海道の本道でもあった。
取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 日帰り山さんぽ 低山をきわめる!』より
清野 明
編集者
散歩の達人ムック『日帰り山さんぽ』シリーズ編集長。1994年、幻の雑誌「探険倶楽部」編を立ち上げる(4号で休刊)。『散歩の達人』では創刊の頃から「東京探険倶楽部」を10年近く連載。昨年から「ニッポン面影散歩」を連載中